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後藤洋央紀が殿と呼ばれる由来は中邑真輔がきっかけだった!

 

「俺は革命を起こす!!」

「俺は生まれ変わる!」

 

後藤洋央紀の口から何度そんな言葉が出たであろう。

 

 

2008年にはG1クライマックスで優勝したものの、大ブレイクにはならず。

IWGPヘビー級王座は何度も戴冠のチャンスがあったにもかかわらず、未だ戴冠はなし。

かれこれ10年以上前から新日本プロレスの第一線で活躍してきた後藤洋央紀ですが、IWGPヘビー級のベルトをオカダカズチカ、内藤哲也などの後輩に先に巻かれてしまう始末。

 

 

2016年には、今まで新日本プロレス本体でベビーフェイスとして長年活躍してきたところ、今はすっかりヒール色が薄まった中途半端なヒールユニットCHAOSに加入。

レスラーとしても中途半端な道を辿りつつある後藤洋央紀が、CHAOSに加入するところも後藤洋央紀らしい。

 

 

そんな後藤洋央紀のニックネームとして知られているのが「殿」という呼び方です。

この記事では、後藤洋央紀が殿と呼ばれている由来をご紹介したいと思います。

後藤洋央紀が殿と呼ばれている由来

出典:後藤洋央紀公式ツイッター

後藤洋央紀は、ある人物との抗争をきっかけに「殿」と呼ばれるようになりました。

 

 

その前にまず注目して欲しいのが、後藤洋央紀のニックネーム「荒武者」です。

髷(まげ)のような髪型やコスチュームから、戦国時代の荒々しい武将をモチーフにしたキャラクターをイメージできます。

 

 

しかし、同じ戦国時代でも殿と荒武者ではかなりイメージが違います。

荒武者は暴れん坊。

殿は多くの家臣を使う立場。

リングを暴れまわる後藤洋央紀は荒武者でなくてはならないのに、なぜ殿と呼ばれているのか。

 

 

事の発端は、2015年までさかのぼります。

 

2015年5月3日、福岡国際センターで開催されたIWGPインターコンチネンタル選手権で、後藤洋央紀は王者中邑真輔を破り、新王者に。

 

インターコンチのベルトを後藤色に変えるべく息巻く後藤洋央紀でしたが、王座奪還を狙う中邑真輔が5月5日の高松大会で、後藤洋央紀を「バカ殿」と挑発したのです。

 

 

その後7月5日の大阪城ホール大会で、リマッチが正式決定。

 

 

2か月の及ぶ前哨戦が繰り広げられましたが、王者として発信力のない後藤洋央紀を、中邑真輔は事あるごとに挑発します。

  • 「オイ、チャンピオンいや、お殿様!何せてくれんのかなぁ〜!?」
  • 「HEY YO、HEY YO、HEY YO! 殿様〜、なんか言ってみろっつうんだよ。大阪はもうすぐそこだ、言うこともござらんか? 」
  • 「殿!! 殿はいずこへ!! ベルト獲って終わりじゃねぇぞ。ここはな、天下泰平じゃねぇんだよ、お殿様〜!!」
  • 「オ〜イ。チャンプ!! 殿!! 静かなんじゃないでしょうか? チャンピオンだろうが。盛り上げてくれよ。」
  • 討ち取ったり〜! な〜んて。おお、殿! 殿! あれ!? 殿はいずこへ!?」

出典:新日本プロレス

後藤洋央紀が殿と呼ばれるようになった由来は、中邑真輔の挑発がきっかけだったわけです。

以後、後藤洋央紀はファンからも「殿」と呼ばれるようになりました。

 

 

当時の抗争で後藤洋央紀の行動を見ても「荒武者」ではなく、なにもしない殿さまみたいな感じでしたから、そんな後藤洋央紀を揶揄してて「殿」と表現した中邑真輔はさすがだと思います。

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まとめ

 

いっそのこと殿さまキャラにギミックチェンジすれば面白みもあったのかもしれないですが、中邑の殿発言を拾うわけでもなかったんですよね…

 

 

いつまでも殻を破れない後藤洋央紀にはCHAOSではなく鈴木軍に加入して欲しかったのですが、もはや無理に殻を破る必要はないような気もしてきました。

後藤洋央紀の行動を見ていくうち、どこか魅力的で憎めない存在感が嫌いになれません。

 

 

というわけで、今後の後藤洋央紀も暖かい目で見守りたいと思います。

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